NOTES

どうしてこのページをつくったのか。

いま、いろいろなSNSがあふれている。

ちょっと前までは電車のなかで
チラっと見える他人のスマホの画面は、
Twitterかゲームだったように思う。

けれど、最近は老若男女を問わず
字幕が画面中央にある短めの動画を
眺めている人が多いような気がしている。

あとは、スキマ時間に「ながら視聴」できる
音声コンテンツの利用者も増えているように思う。
公共の電波のラジオよりも、もっと自由で、
距離感の近いコンテンツだなと感じる。

これまで、インターネットの世界は
ブログやTwitter(いまは、Xでしたっけ)という
「読む」コンテンツからはじまって、
写真や動画という「視る」ものが現れて、
そこに原点回帰のように「聴く」がよろこばれ、
‥‥そこで、本題なのですが。

やっぱり、「文章」っていいな、と。

個人的には、たのしくXも
Instagramもやっているけれど、
人の投稿を見ることがほとんどで、
なかなか文章を書く気が起きなかった。
たまに書くけれど、投稿しないで消していた。

誰からも頼まれていないのに
「なんか更新しないとな」という
ナゾの義務感や焦燥感も抱きつつ。

それがどうしてなのか、ずっと考えていた。

「こんなこと、わざわざ書かなくてもいいか」
「そんなこと、他人に報告する必要ないか」

そんなふうに思ってしまっていたという
理由もたしかにある。

けれど、最近、これかなぁ、と思ったのが、
「にぎやかすぎる場所が苦手なのかも」ということ。

SNSは、いわば渋谷の
スクランブル交差点のような場所。
その雑多のなかで、いかに人の目に留めさせて、
いかにボタンを押させるかに熱心な人びとが
ひしめき合っている場所。
どうも、そういう人混みのところで
なにか文章を書くことに抵抗感があったのだと思う。

目の前にある光景を
気軽に指1本で投稿できる時代だからこそ、
田舎のような静かでゆとりある場所で、
目に見えないものを表現できる
文章を書きたいと思った。

10秒で読める文章は、書くのには10分かかる。
文章を書くというのは、時間がかかることなのだ。

このページは、見渡す限り空の見える
1車線の道路しかない町のような場所。
1日に1人とか2人が立ち寄るだけかもしれない。

はじめは、それでいい。
たった1人でも読んでくれてなにかを思ってくれたら。
できれば、よろこんでもらえたら。

いま、読んでくれている、あなたのために。
これからも、ふらっと訪れてもらえるように、
そのときの自分のなかにあることばを書いていく。

そういう気持ちで、このページをつくりました。

ここになにかを書くことを意識しながら
生きていく、そんなじぶんもたのしみです。

……………………………………

(たしかに、よしたに。)