NOTES

ケニア、7日目。「いい人の正体」

夕方の飛行機で、いよいよナイロビとお別れ。

その日は朝から「DBA WAZIWAZI ACADEMY」というユース世代向けのラグビー普及アカデミーへ。このプログラムは、毎週日曜の10時から2時間、市内の学校のグラウンドで100人くらいのこどもたちにラグビーを教えるもので、キベラ(スラム街)のこどもたちも、バスに乗ってやってきます。

ぼくもこどもたちに混じって一緒に練習をしたのですが、不思議だったのが、「ケニアの人たちって、汗かかないの?」。ケニアの人たちは、みんな歯並びがよくて歯が白いと思っていたのですが、もうひとつ、みんな汗をあまりかかない。体力があって息が上がらないのか、気候に順応している肌なのか。

アカデミーでは、あるコーチのコーチングが勉強になりました。決して怒鳴ったり大きな声を出したりしないけれど、思わずみんなが耳と目を向けたくなるような話し方、カラダを動かす時間と問いかけをしてチームで話し合いをさせる時間のバランス。うまかったなぁ、ぼくもマネしてみよう。

さて、話をすこし変えます。

今回のケニアツアーは、廣瀬俊朗さん(トシさん)からのお誘いでした。彼は数年前からアフリカでビジネスをはじめていて、そのブランドづくりのお手伝いをしたご縁で声をかけてもらいました。

ふりかえってみると、トシさんと初めて出会ったのが、ちょうど10年前。『なんのために勝つのか。』という彼の初著書のタイトルを考案する仕事がはじまりで、それから日本ラグビー選手会の立ち上げのサポートのお声がけがあったり、独立して会社を設立するにあたってのブランディングのサポートをしたり‥‥そして、気づけばお互いの自宅が自転車で数分の距離に。

そんな公私ともにずっとお世話になっていたトシさんと、はじめて長い時間一緒に過ごしたのが、このケニアの旅。それで、やっと、トシさんという人のことが(ちょっぴり)わかった気がしたのです。

正直に言います。トシさんのことを、ずっと「ほんまかいな」と思っていたのです。というのも、あまりにもいつもニコニコしていて、いい人すぎるから嘘でしょう、と。けれど、この1週間、寝食をともにしてわかったのです。ほんとに、「いい人」だったのです。

ふたつ、象徴的な出来事がありました。

ぼくらが駐車場を歩いていたら、突然、トシさんがどこかへ走っていく。どうやらタクシーの運転手が、乗客の車椅子をうまくたためずに困っていたらしく、トシさんがたたみに行っていたのです。「あれ、けっこう力が必要で壊しちゃうんじゃないかと思って、むずかしいんよね」と言いながら颯爽とこちらへ戻ってきた。

ナイロビ市内の10分ほどのクルマ移動のとき、後部座席で膝の上にMacBookを乗せてパチパチなにかを打ち込んでいる。ぼくが「こんなわずかな時間に、なにを書いてるんですか?」と訊ねると、「知り合いのこどもがラグビーのことを調べていて、質問がきてるから回答を書いてるんよね」。「え、ボランティアですか?」「こどものためやから、ええかな〜と思って引き受けたんよね」と言う。

ちなみにトシさんは飛行機の座席に着いた瞬間にMacBookをひらいて仕事をはじめます。時間があれば、ずっとMacBookをひらいている気がします。彼の会社の名前が「ひらく」だからでしょうか。

それはさておき、「いい人」といえば、お土産ショップやスラム街に行っても、トシさんだけが声をかけられる。国境を越えて、「いい人だ」とバレている。ぼく自身も、トシさんにドアを開けてもらって「どうぞ」と言われたり、困っていたらすぐに声をかけてくれたりというシーンがいくつもありました。

いっぽうで、トシさんは「我」がつよい面もある。人とおなじことは嫌いだし、興味をもったらひとりで突っ走るし、わりとマイペースなところもある。むしろ、こういう人間らしい一面を知ることができたおかげで、トシさんという人の器の大きさを実感できたのかもしれません。

旅の途中で、トシさんとこんな会話をしました。

「トシさんって、『消えるモノ』が好きですよね」

彼は、往きのスーツケースは重量オーバーするくらいパンパンだったけれど、帰りはスカスカ。つまり、ケニアへの日本のお土産をたくさん持って行っていて、自分の荷物は小さめのリュックくらい。海外にいるあいだの服装はほぼ2パターンで、まいにち自分で部屋で手洗いして干して、次の日におなじ服を着ていた。とにかく身軽なのです。あと彼は、無類のワイン好きで、これも残るのは瓶だけ。「モノより思い出。」という1990年代のCMのコピーがありましたが、まさにトシさんは、そういう生き方をしているなぁと思います。

いっぽうで、文房具やGパンやアクセサリーなどの『消えないモノ』が好きなぼくは、トシさんと旅をして、少なからず影響を受けてしまいました。人生って、思い出をつくることなのかもしれないな、と。自分がこの世からいなくなってしまったときに、だれかの記憶のなかに自分がいれば、ぼくはまだ世界にいるような気がする。モノをのこしていくこともいいけれど、だれかといっしょになにかをやった、という思い出をたくさんのこせたらいいな。そんなことをトシさんから教えてもらったような気がします。

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(たしかに、よしたに。)