NOTES

ケニア、最終日。「やさしさのお土産」

ケニアから日本までの
約11,400kmのあいだ、なんども考えていた。

「ケニアという国の、魅力ってなんだろう?」

商業的に言うならば、「余地の国」であると思う。
ここには、きっと人類がほとんどの歴史を
そんなふうに過ごしてきたでろう原始の暮らしがある。
人も、建物も、仕組みもあらゆるものが
まだまだ未開拓の市場であるから、
「次のビジネスチャンスはアフリカだ!」と
実は、ぼくも鼻息を荒くした瞬間があった。

けれども、ケニアのような原始の土地に
どんどん人とお金が突入していって、
あの風景がなくなってしまうのはさみしい。
もしかしたら、「発展」した国の人びとが
「やっぱりこういうのがいいよね」と
戻ってくるような国になるのかもしれないけど。

だから、ケニアという国の魅力を
未来のポテンシャルを語るような言い方でなく、
もっと、現地に行って感じた空気を混ぜて
どうにかことばにしてみたいと考えていた。

地球を4分の1周しながら
練り出てきた自分なりのことばは、

「やさしくなって、帰ってくる。」

というものだった。

実際に、ケニアにいるときに
日本にいる家族とビデオ通話をしたとき、
「なんか顔がやさしくなってるね」と言われた。
(もともとの顔がどんななのかは訊かなかった)

靴すら履いていないほとんどのこどもたち。
誰も化粧もしていない、もちろん美容整形も。
あちこちの道端で、ただぼーっと座っている人、
寝ている人を数えきれないほど見た。
みんなスマホは持っているけれど、
通信料を気にしているのかどこかに置いてあって
となりにいる仲間たちとおしゃべりしていた。
ふと出会う野生のシマウマたちも
家族で寄り添い合って静かに1日を過ごしていた。

それなのに、なのか、それだから、なのか、
みんな、しあわせそうに暮らしている。
そういえば「怒っている人」を一度も見なかった。
あらゆるものが「ありのまま」で、
見方によっては不便そうにみえる暮らしでも、
日本人みたいな背恰好をしていて
すこしシャイなケニア人たちはみんな
白い歯を見せながらしあわせそうだった。

必要なものは、もうぜんぶ地上にあるよ。
その日、たった1日をまずは自分と
大切な人の命のために生きるだけだよ。
肩にポンと手を置かれてそんなふうに
言われているような気がしたのだ。

それがどうして「やさしくなる」のかは、
ちょっとまだ、わからない。
けれど、ケニアに行くと、やさしいきもちを
大切にしたくなるのは、たしかなのだ。
やさしさは、人をやさしいきもちにするし、
人にやさしくできると、そんな自分を愛せるし。

やさしくなって、帰ってくる。
ケニア。ぜひですね、行ってみてください。

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(たしかに、よしたに。)