NOTES

無題

10月28日午後3時25分、父が亡くなりました。

姉から「パパ、目を閉じたと思ったら、もう息してないかも」と連絡がきて、急いで実家に着いたら、母と姉が父の眠るベッドの横にいて、母が「あなた、ゴローが来たわよ!」と耳元で声を張っていました。父の手を握ると、いつも触れていたときとおなじ温かな感触でした。

3ヶ月前の7月中旬。「お父さまは膵臓がんであと1ヶ月かもしれません」とお医者さんに言われてから、生涯忘れられない3ヶ月を家族みんなで過ごしました。父が「家にいたい」と言うので、母と姉が実家で朝から晩まで病院のような療養サポートと介護をしてくれて、最期は自宅で息を引き取りました。

亡くなってしまいましたが、そういう意味では父はしあわせだったと思います。ぼくが今、「どんな死に方をしたい?」と訊かれたら、「そうだな、87歳くらいまでは生きて、住み慣れた自宅で‥‥静かに家族みんなに囲まれて、かな」と言うと思います。父は、まさにそれだったわけです。

実の親が亡くなるというと、病院の一室で心電図が「ピーーーー」となって、「親父ィ〜!」と家族がむせび泣くようなシーンをずっと想像していたのですが、まったくちがいました。秋の気持ちのいい日差しが差し込む、何度も「ジィジ、元気かー?」と父とハイタッチをしながら訪れていた部屋で、ぼくは静かに手を握りながら「よくこんなにがんばったね」と思っていました。

ぼく自身は、やりきった。後悔がない。という気持ちでいっぱいです。まだまだこれから出てくるのかもしれませんが、「こんなこと、やっておきたいな」ということ、ほとんどできたように思います。

「親孝行 したいときには 親はなし」

そんなことばを、たしか、父から聞いたことがあります。このことばに「ほんとにそうか?」と言いたかった意地のようなものがあったのかもしれません。

父を温泉旅行に連れて行って一緒に裸になって露天風呂に浸かりたいと思っていたのですが、父が元気なときにできました。大学生の頃から、歳の差の離れた父親だったこともあって、ずっと「早く孫を見せたい」と思っていて、孫を見せてあげることもできました。家族みんなで記念写真を撮りたいと思っていたので、米寿祝いを企画して実現できました。父の描いた絵がほしかったので、画材を買って行って一緒に絵を描きました。ぼくの仕事のイベントがあるとなるべく招待して足を運んでくれました。ぼくが東京で仕事のときは、なるべくこまめに連絡をして、数えきれないくらい父と母にランチをご馳走することができました。何度も一緒にラグビー観戦に行きました。生きているうちに伝えたいこと、聞きたいことも、ほとんど話しました(録音したやりとりもある)。

最期の3ヶ月間、介護のようなものをしたおかげで、ベッドから車椅子に移動させるために手を握ったり、お風呂に入れるために抱き合って体を持ち上げたりして、何度もその肌に触れることができました。なかなか父親と抱き合ったり、手を握り合ったりする機会ってないと思うのですが、この期間に父に触れられた「感触」のようなものは、寡黙だった父を思い出すときの、ことばよりも豊かなコミュニケーションだったと思います。

いつも会いに行ったとき、行きと帰りにお互いにニコっと笑って手を出してハイタッチしていました。その手が、1週間ごとに、どんどん痩せていくのも胸が痛かったけれど、あのハイタッチもやってよかったなぁと思います。

ずっとお世話になっていた先生がやって来て、言いました。「おとうさん、最期まで強かったです。奥さんも、ほんとうにこの3ヶ月、すばらしい介護をされていました」。

ぼくは、先生に「ありがとうございました」と言ったのですが、吸った空気が足りていなくて、ほとんどことばが出ませんでした。医療、介護の世界に生きる人たちは、尊敬すべきほんとうにすごい人たちだと思いました。

ぼくの姉も、とんでもない時間を過ごしていました。わりと激しめの仕事をしながら、実家でずっと父を介護していたのです。

その姉が、父が亡くなったあと1日経っても、保冷剤で体を冷やされて鼻に綿が詰められて、顔に布が乗せられている父のところへ行って、その布を取って、顔を何度も見ていました。ぼくが、「よく顔を見に行くね」と言ったら、姉は「まいにち見てたからね」と言いました。この数ヶ月、ずっと父のいろいろな姿を間近で見ていた姉のすごみを感じました。姉は、目に涙を浮かべながら、ずっと父の顔を拭いていました。

姉もすごいですが、母は、ここには詳しく書きませんが、もっとすごかったです。

いつも遠くから何も言わずに、ニコニコとぼくらを見ていた父から教えてもらったことを胸に、ぼくはのこりの人生を生きていきたいと思います。「やりきった」という気持ちと、「これからかな」という気持ちが半々の、父が亡くなった翌日の今です。父は、ずっとカッコよくて、ぼくの憧れの人でした。しばらく、遠くから見ててね。また会おうね。