NOTES

ケニア、4日目。「生きる意味とか」

いよいよ、道路でキリンに出会ったくらいでは、そんなに感動しなくなってきました。たった数日前までは興奮してiPhoneを取り出してバシャバシャと撮影していたのに。慣れというのは、おそろしいものですね。

さて、ナイロビに着いてから4日目。この日は待ちに待ったサファリへ。ナイロビから車で5時間ほどの旅です。早朝、ホテルの前に泥だらけのランドクルーザーがお迎えにきてくれました。東京のアスファルトを走るランクルとはちがって「生きるための道具」のような顔つきをしている。2日間お世話になるドライバーの名前は「Jimmy」。英語も話すけれども、基本的にはスワヒリ語を話す、ナイスガイな地元の人。

デコボコ道に激しく揺られながら、アンボセリ国立公園に到着。ゲート付近では「アフリカ感」をほしがって世界中からやってくる観光客に、現地の人たちがお土産を売ろうと必死でした。

ゲートをくぐると、ひたすら地平線だけの世界。遠くにあるのはキリマンジャロ山だけ。目がよくなりそうな気がします。

家族で一列になって悠々と歩いているゾウ。足が速い自負があるからなのか見晴らしのいいところで堂々と寝ているチーター。草むらに隠れているバッファロー。一回の出産でいったい何頭産まれてくるのだろうと疑問に思うほど大量にいるシマウマ(調べたら一頭でした)。

Wi-Fiも、電波もつながらない車中で、ひとり遠くを見ながら、どうしてなのか「命」について何度も考えてました。ぼくらが、生きる意味ってなんだろう、と。

「生きる意味、なんて、ない」

これが、ぼくの結論でした。

野生の動物たちを見ていると、「生きるために、生きている」ということが伝わってきます。

子を守るために生きる。家族と寄り添い合って生きる。食べるものを求めて、カラダを動かす。より安全なところを求めて、カラダを動かす。生きるために必要なものは、もともとそこに、ぜんぶある。‥‥そんなことを思いました。

モノやお金にあるていど恵まれた国の人たちは、この数十年で「なんのために生きるのか」という問いや、「この世に大きな貢献をして何かを残すことが大事である」という考えを持つことが増えました。けれど、大自然のなかでありのままに暮らす動物たちを見て、「大事なことは、おまえの足元にあるぞ」と、言われたような気がしたのです。

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(たしかに、よしたに。)