NOTES

カッキーのこと。

ぼくのツイッターのアイコンは、カッキーと抱擁しているシーン。かれこれ13年ほど変えていない。

その写真は、2013年12月「最後の国立 早明戦」の試合終了直後に、グラウンド脇で撮影されたもの。ノーサイドの笛が鳴って、カッキーがこちらに駆け寄ってきた。

どうしてこの画像を変えないのか。

それは、この瞬間が、ぼくにとっての「原点」だから。

今でこそ、ありがたいことに、ぼくはスポーツに関する仕事をクリエイティブの面からたくさんやらせてもらっているけれど、社会に出てまだ間もなかった当時のぼくは「ラグビーは学生まで。社会に出たら別の世界で活躍したい」と本気で思っていた。それは、選手として大したことなかった自分なりの、ラグビーの世界への劣等感の表れだったと思う。

ところが、ひょんな縁で先ほどの「最後の国立 早明戦」のプロモーションに関わることになった。数名のプロジェクトチームのメンバーとして、「5万人の満員にする」というミッションを背負い、半年以上、本業をそっちのけで朝から晩までいろいろやった。もちろんボランティアで。

結果的に、この日のイベントは大成功だった。松任谷由実さんの『ノーサイド』熱唱のおかげもあって、翌日のニュースにも大きく取り上げられた。

その試合終了直後、当時、早稲田大学ラグビー部の主将だったカッキーは、この感動的な舞台をつくってくれたという感謝の想いを伝えにぼくのところまで走ってきた。真冬なのに汗だくの大きなジャージに包まれて、思った。

「あ、スポーツの仕事って、いいな」

実際に、この早明戦のあとからいろんなラグビーの仕事(キヤノンのブルズ町田マッチ、サンウルブズ、そしてラグビーW杯2019など)、そして今では幅広いスポーツの仕事がやってくるようになった。

だから、この日のこのシーンは、ぼくにとっての「原点」なのだ。このときの初心を忘れないように、今でもアイコンにしている。

2014年にぼくは高校ラグビー部のヘッドコーチをやることになった。カッキーは、なんとコーチを引き受けてくれた。母校でもない。まだ現役バリバリで日本代表にも選ばれているピーク期なのに。やるからにはとスポットではなく週に1〜2回はバイクでやってきて、1年以上にわたって無名高校の学生たちに熱心に指導してくれた。もちろん生徒全員の名前も覚えていたし、東京都ベスト16くらいの対戦相手のビデオを一緒に観ながら分析したこともあった。

あのときの学生たちは、今になって「なんて贅沢だったのだろう」と思っていることだろう。ぼく自身もこのときの恩があるから今でもカッキーの相談にはなるべく全力で応えたいと思っている。「ゴローさん。“ゴローズ”ってのが気になるんですけど」とかも。

カッキーという人間は、不思議だ。

営業妨害かもしれないけれど、おれの知ってるカッキーは、ラグビーがそんなに好きじゃない。むしろ、ちょっぴり嫌いかもしれない。そして、「根暗」というか、基本的にはずっと黙ってうつむいてスマホを見ている。目の奥には、影が見える。たまに「商売」という2文字も見える。

カッキーが家族でうちにあそびにきたときのこと。アーロンチェアに座ったまま、一度も立ち上がらなかった。一度だけトイレに立ったが、そのときも「どっ‥‥、こら、しょ‥‥」という感じで、のそのそと歩いていた。まだ未就学児だったぼくの息子が健気に言った。「カッキーって、ラグビーできるの?」

そんな彼は、なぜこれほどまでにウケるのか。プロップとしてここまでの人気を博したキャラはいただろうか。明るく、自虐的で、面白い。「ダンディな男前の紳士」という人気ラガーマンのイメージとは逆方向にここまで振り切ったラグビー選手はいただろうか。ちなみに、ぼくのインスタには、カッキーの植毛?の広告が1日に何回も出てくる。

カッキーが引退を決意した直後、わざわざ電話をくれた。

「まだ数人しか言っていないので、ヤマナカさんにも言わないでください。決めました。引退します」

「おお。そうか。よくがんばったな」

「やっと辞められます!!」

とてもうれしそうだった。
やっぱりそんなにラグビーは好きじゃなかった。

いや、ラグビーを通じて出会えた人たちのことが好きだったのかもしれないし、根暗で太っちょな自分でも日本代表になれて人の役に立ってよろこばれるようなラグビーというスポーツが好きだったのかもしれない。

でも、それは、ぼくがラグビーが好きな理由と同じ。

体型とか学歴とかそういうのは一切関係なく、人の痛みがわかるやさしい人間がヒーローになれるところ。

おつかれさまでした。


(たしかに、よしたに。)